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書籍・雑誌

2022年12月30日 (金)

どうぶつ会議(令和4年の読書日記1)

令和4年の今年の漢字は「戦」でした。この字が選ばれてしまった、即ち選ばれる状況があるということに哀しみと恐れと怒りが複雑にからみあったものが胸にわだかまっています。

2022年2月にロシアのウクライナ侵攻が起こり、いま終結を見ていません。多くの市民の犠牲、戦争犯罪の報道もあり、人が人でなくなる戦争の残酷さを見せつけられています。

ロシア(旧ソ連)は、第二次世界大戦時に過酷な独ソ戦を体験しています。

「独ソ戦」はもっとも過酷な戦場のひとつでソ連の死者は約2700万人と言われていて、参戦した諸国の中でも突出した犠牲を出しています。この戦にソ連からは百万人を超える女性兵士が従軍しました。共産主義のもと男女平等の建前もあり女性兵士たちは、看護や後方支援だけでなく狙撃兵、飛行士、爆撃手など最前線に立つ兵士の職責を担いました。これら女性兵士、五百名以上からその体験を丹念に聞き取り「証言文学」という形にまとめたのが『戦争は女の顔をしていない(スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ 著 三浦 みどり 訳 /岩波現代文庫 社会)』です。

アレクシエーヴィチは、今まで戦争が「男の言葉」「男の視点」からしか語られていないことに疑問を抱き「女性兵士たち」の声を拾い集め、集められたたくさんの声が響きあう一つの作品として結晶させました。戦場の苦しみ、おぞましさ、愚かしさが生き延びた女性兵士の声を通して無惨に死んだ者の声すらも聞こえてきて背筋が寒くなります。

しかし、女たちの慟哭がいかに戦争が最悪の選択であるかを教えてくれているにもかかわらずロシアはウクライナに武力侵攻しました。指導者が最悪の意味での「男の顔」で「男の言葉」で戦争を語るのが不気味で恐ろしいのです。そして、その情勢を受けて発言する各国の指導者たちもまた語るのは「男の言葉」に感じます。

 去年の冬に始まった戦闘は季節が廻り、また冬が来てもなお戦闘はまだ続いています。極寒の地で苦しむ人々のためにも一刻も早い終結を祈るばかりです。

 今年は、この世界情勢に影響された本を多く読みました。

『ドストエフスキー 黒い言葉(亀山郁夫 著 /集英社新書)』もそのうちの一冊です。

ロシア文学者の著者が、激動の時代に激動の人生を生きたドストエフスキーが人間の根源について洞察し文学へと昇華させた言葉を選び解説しています。金銭や貧困、暴力、疫病、信仰などについて語られるドストエフスキーの言葉が現代の私たちにも生々しく響いてきます。

2021年、ウクライナ侵攻の数か月前に博物館のドストエフスキー生誕200年記念式典に出席したプーチン大統領は、メッセージ帳に「ドストエフスキーは天才的思想家」と書いたとして話題になりました。プーチンは、ドストエフスキーの側面のひとつを自分の政治的信条に重ねて利用していると言われています。

そういえば、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』では「父殺し」がテーマのひとつであり父と息子たちの関係を軸として物語が展開する、つまり「男の言葉」が綴られるの物語だったな、と思い返しています。

 そして、この殺伐とした世界を救う糸口を探して同じくロシアの文豪であるトルストイの『人は何で生きるか』を読みました。夏にNHKの番組『100de名著forティーンズ』に取り上げられていたので久々に、かつ新たな視点で読むことができました。

『人は何で生きるか』『人間の中にあるものは何か』『人間に与えられていないものは何か』の3つの問が物語の中で提示されます。そして、お互いがお互いを慈しみ助け合う気持ちが『愛』であり、その『愛』があることで人々は生きていくことが出来ると物語を通じて説いていきます。

 人は善にも悪にも揺れ動き、環境によっては普通の人がどこまでも残忍になり得ます。だからこそ人はそれぞれの心の中の「愛」を大切に育てる必要があるのだと思います。

 トルストイは、絶対的非戦論者としても知られていますが、戦争はまさに人の心の善きものを奪い尽くしてしまう最たるものです。

その悲惨さを歴史のなかで幾度も繰り返しているのが人間であり、そんな人間に愛想をつかして立ち上がったのが動物たちです。

『どうぶつ会議 (エーリッヒ・ケストナー 著 ヴぁルター・トリアー 絵 光吉夏弥 訳/岩波書店)』は、1949年にケストナーが書いた児童書です。第二次世界大戦後,世界平和のための国際会議と言いながらすこしも成果があがらないことに業を煮やして動物たちが「かわいそうな人間の子どもたちのために」と動物会議をひらきます。動物たちが人間の大人たちに突き付けたのは『僕たち動物は、二度と戦争がおきないことを要求します!』ということ。人間たちはそれに対してどのような答えをだすのか。物語の中では動物たちと政治家は最終的にある合意をします。

 その内容が印象的なので引用します。

『1 すべての国境をなくす 2 軍隊と大砲と戦車をなくし戦争はもうしない 3 けいさつは弓と矢をそなえてよい。けいさつのつとめは学問が平和のためにやくだっているかどうかをみることにある 4 政府の役人と書類のかずはできるだけすくなくする 5 子どもをいい人間にそだてることはいちばんむずかしい仕事であるから、これからさき教育者がいちばん高い給料をとるようにする』

 戦争と平和についてもそうですが、警察や官僚組織の在り方、学問(科学)の在り方、教育者の在り方など今の社会課題に対して考えさせられる条文です。

 残念ながらこのお話のように人間たちのために立ち上がってくれる動物たちはいません。だからこそ人間は自ら自分たちの課題に向き合わなければいけないのだと思います。

2021年9月14日 (火)

パラリンピックを観戦して

この夏、東京オリンピック・パラリンピックが開催され、終了しました。

コロナ禍での開催については疑問がありました。選手の皆様の活躍も見られて感動したからよかったね、で終わらせるのではなく開催したことによる感染状況への影響や五輪開催関連費用についての検証を多面的に行いその結果を共有化することで次世代への教訓となると思います。

それはそれとして、今回、パラリンピックを開会式・閉会式も含めて様々な競技の観戦をしっかりとTVを通じてみることが出来たのは嬉しかったです。

 特に「我々には翼がある」の開会式、「調和する不協和音」の閉会式どちらも魅力的でした。心身の状況が様々な方がともに同じ場にあって一つの舞台を作り上げている様子が充足感と安らぎに満ちているように感じられました。

 現実の社会では私たちが何らかの障害のある方と学んだり働いたりと共に活動する機会はそれほど多くありません。今は実現できていないけれど、遠くない未来にこのような社会になるにはどうすれば良いか考えるきっかけとなりました。

 「パラリンピック」という呼び名が出来たのは1964年の前回の東京大会でした。その当時は車椅子を利用する人のスポーツ競技大会だったため「パラプレジア(下半身まひ)」のパラとオリンピックを掛け合わせて通称としました。

 今ではオリンピックと並行して行われる「パラレル」のパラを意味しているとのことです。しかし、「パラレル(並行)」では、どこまでいっても両者が交わることがないということになってしまいます。

「パラリンピック」という言葉は日本で生まれたという経緯もあり、語感も良いですが、何か別の名前に、そしていずれは殊更オリンピックと分けて呼ぶ必要がなくなる時が来た方が良いのかもしれません。

 さて、今後、性別、障害の有無、国籍などの「多様性」については事業所でも重要な課題になってきますので、経営者も自らの価値観を柔軟にする必要があります。

 最近、多様性を考える良い絵本を見つけました。

 「はじまりは、まっしろな紙 日系アメリカ人絵本作家ギョウ・フジカワがえがいた願い」というフレーベル館から出版された絵本で「町のなかでも、絵本のなかでも、はだの色で人をわけてはいけません。」が惹句です。

 1960年代初めのアメリカで絵本の中に初めて白人、黒人、黄色人種の子供たちを同時に登場させた絵本作家の伝記です。1908年生まれの藤川尭(ギョウ・フジカワ)は、戦時中に家族が日系人収容所に送られるなどの体験を経ながら1998年に亡くなるまで数多くの絵本を遺しました。

 私も興味を持って「Babies」というその画期的な転機となった本を取り寄せました。ぷくぷくっとした色々な人種の赤ちゃんたちの仕草は、肌の色の違いはそれぞれの愛らしさを生み出すもとであり、それ以上でもそれ以下でもありません。

 ギョウ・フジカワが取り組むまで、こんな当たり前のことさえも実現されていなかったことに驚きを感じますが、自分と異なるものを受け入れるのは本当に難しいこともわかります。

 私自身が固定的な価値観に全くとらわれていないといえば嘘になりますが、少しずつでも心の可動域を広げていきたいと思っています。

2020年1月10日 (金)

子年のはじめに

あけましておめでとうございます。令和最初のお正月は、あたたかく穏やかな始まりとなりました。暦の関係で少々ゆっくりの仕事始めとなり、あっという間に松の内が終わり、鏡開きも明日となりました。今日は十日恵比寿、商売繁盛などを司る恵比寿様の祭日です。今年も皆様の事業の繁栄と善き社会の実現の支援ができるよう努めてまいります。

 さて、先日長嶋美術館で開催されていた「みんなのレオ・レオー二展』に行ってきましたレオ・レオーニは小学校の教科書でもおなじみの『スイミー』の作者ですが、『フレデリック』や『アレクサンダとぜんまいねずみ』などネズミを主人公にした作品も多く描いています。

 かわいくかしこくかわりもののネズミたちにたくさん出会えて子年にふさわしい幕開けとなりました。

展覧会は4つのキーワード「レオとアート」「自分探し」「平和を求めて」「リアル?フィクション?」でレオーニの生涯とその作品を読み解く構成になっています。

 レオーニは、1910年にオランダで生まれますが、その後ユダヤ系ということもありアメリカへと亡命します。世界大戦とその後の冷戦時代を通じて平和への思いを強くし、人種差別などの社会的な課題へも向き合い「芸術家は社会に貢献する責任がある」という信念のもと作品を通じて社会へとメッセージを送り続けました。

 中でも『あいうえおの木~力をあわせたもじたちの話~』には小さくか弱い文字たちが綴る『ちきゅうに へいわを すべてのひとびとに やさしさを せんそうは もう まっぴら』という直接的な主張が盛り込まれています。ベトナム戦争を背景にした作品ですが、この年末年始のきなくさい世界情勢を思うと、今、まさに一人ひとりがあげるべき声といえます。

 そして平和をかなえるためには、多様なもの、自分とは違うものを受け入れ共に生きることが大切だということも作品を通じて繰り返し語られています。

 レオーニは「スイミー」などのように小さなものが力を合わせることで大きな力を生むことを語ると同時に、そういう時に集団が陥りがちな「みんな同じでなければならない、異質なものは排除しなければならない」という呪縛も戒めています。

 他の仲間と違う自分を肯定し、みんなと同じではないけれど自分にしかできない役割を果たす絵本の主人公たちの姿は、これから多様な文化、価値観の中で生きていく私たちがどうあるべきかを教えてくれます。

 可愛らしい絵本の世界に浸りにいったら、我々の向き合うべき課題を正面から突き付けられたようでした。

 余談ですが、レオ二のお父さんは公認会計士だったとか。少し嬉しくなりました。

2015年1月28日 (水)

流行に乗って・・・

 ピケティの「21世紀の資本」を買ってきました。

 さすがに、巷でこれだけ話題になっているので、仕事柄一通り押さえておこうかな~と思ったのですが、聞きしに勝る厚さで、読む前に挫折しそうです。

 皆さん本当に読破したのかな、と自分を棚に上げて疑ってしまいます。

 何と無く知ってうるけど、きちんと読み終えた人には滅多に会わないという『失われた時を求めて』みたいなものなのではなかろうか…

 時間と気力のある時に読んでみたいと思います。

福笹文庫(新着)